解説資料
デジタル教科書とUDブラウザの最前線
中野 泰志(慶應義塾大学)
nakanoy@z7.keio.jp
1.はじめに
2008年に「障害のある児童及び生徒のための教科用特定図書等の普及の促進等に関する法律」(教科書バリアフリー法)が施行され、拡大教科書等の障害のある児童生徒が検定教科書に代えて使用する「教科用特定図書等」の普及促進が図られるようになった(宇野, 2007)。この法律の施行により、拡大教科書が無償で給与されるようになり、拡大教科書の在り方に関する標準規格の作成(国立特別支援教育研究所, 2005)、ボランティアへのデジタルデータの提供、各教科書発行者への拡大教科書発行に関する努力義務の制定等が行われ、拡大教科書の安定供給への道が拓かれた(中野ら, 2013)。その結果、2012年度からは、小学校、中学校のすべての種類の教科書が拡大で発行され、無償で給与されるようになった。
中野らが2012年度に実施した利用実態調査(市区町村教育委員会と盲学校を介して、「拡大教科書」の無償給与を受けている全国の弱視児童生徒1,491人に調査票を配布)では、1,263人の小中学生から有効回答が得られた(Nakano et al, 2014)。給与された「拡大教科書」8,837冊の分析を行った結果、1人あたりの拡大教科書利用数は平均7.3タイトルで、選択されている文字サイズは22ポイントが最も多く、72.6%の「拡大教科書」に満足していることがわかった。一方、「拡大教科書」を使いたくないと思う理由について質問したところ、「持ち運びが不便」という可搬性の問題や「一般の教科書とページや行が違って授業で使いにくい」という操作性の問題を指摘する回答が多かった。そして、可搬性と操作性を向上させることが可能なデジタルへの期待が高いことがわかった。
紙媒体の拡大教科書の問題点を解決する方法として、中野ら(2015)は、教科書をアクセシブルなPDF形式にしたデジタル図書(以下、PDF版拡大教科書)をタブレット型情報端末(以下、タブレット端末)で利用する方法を考案した。そして、従来の紙の拡大教科書と同等の役割を果たせるかどうかを、作業効率比較実験と利用実態に関するヒアリング調査の2つの側面から実証的に検討した。その結果、作業効率や利用実態の観点からは、従来の拡大教科書と同等以上であることが確認されたことを報告した。
弱視児童生徒にとって、簡単に持ち運びができ、人前で利用しても恥ずかしくなく、文字サイズや白黒反転等を瞬時に変更して見やすくすることができるタブレット端末は、切望されてきた補助具である。しかし、タブレット端末で教科書や教材にアクセスしようとすると、標準的な閲覧アプリ「iBooks」(以下、iBooks)では、書棚やメニューの表示が小さい等の課題があった。また、一般に市販されているデジタル教科書は、拡大機能や読み上げ機能を有しているものの、視覚障害児童生徒の障害特性が十分に考慮されていなかった。例えば、拡大できる文字サイズに制限があったり、メニューは拡大されなかったり、操作が煩雑であったり等、多くの問題があり、機器の操作に慣れた高校生であっても実用的には活用できないケースが多かった。そこで、中野ら(2016)は、弱視児童生徒の障害特性やニーズ、担当している教員の利用実態やニーズ、教科書発行者が提供可能なデータ形式等を総合的に考慮した教科書・教材閲覧アプリ「UDブラウザ」(以下、UDB)を開発した。また、iBooksとUDBの比較を行った結果、UDBは、弱視児童生徒にとっても、担当教員にとってもiBooksよりも使いやすさ、視認性、わかりやすさのいずれの観点でも評価が高いことが明らかになった。
上述の拡大教科書のデジタル化に関する研究は、文部科学省の政策に基づく委託研究として実施された。文部科学省では、平成30(2018)年からスタートした学習指導要領等の改訂において「情報活用能力」を重要事項に位置づけている。また、平成32(2020)年度からは、紙媒体の教科書と同一の内容をデジタル化した「デジタル教科書」の本格導入する計画を発表した。そして、通常の教育に先駆け、視覚障害のある小中高校生に対しては、平成31(2019)年度から、タブレット端末などを活用したデジタル教科書が教育課程の全てで使用できるようになる。
本連載は、文部科学省が平成31(2019)年度から導入する計画の「デジタル教科書」の基礎データとなった実践研究の成果をまとめたものである。本報告では、紙媒体の拡大教科書の問題点を解決するために作成された「PDF版拡大図書(教科書)」と「UDB」の概要及び入手方法について紹介する。
2.PDF版拡大図書(教科書)とは?
2.1 定義
「PDF版拡大教科書」とは、文部科学省初等中等教育局教科書課が「特別支援学校(視覚障害等)高等部における教科書デジタルデータ活用に関する調査研究」のために提供されているデジタルデータで、正式名称は「PDF版拡大図書」である。PDF版拡大教科書のデジタルデータの特徴は、教科書バリアフリー法において教科書発行者に文部科学大臣への提供が課せられている教科書デジタルデータを用い、視覚に障害のある児童生徒のアクセシビリティを考慮しつつ、不正利用防止策を施して作成されている点である。なお、現行法では、教科書の使用義務があるため、法律上は教材として位置付けられている「PDF版拡大教科書」は、必ず紙媒体の教科書と併用する必要がある。
2.2 ファイル形式
電子書籍の表現方法にはPDFのような「固定型レイアウト(フィックス型レイアウト)」とEPUBのような「リフロー型レイアウト」がある(中村, 2014)。固定型レイアウトは、紙媒体と同様に版面の1ページを固定したレイアウトであり、紙媒体の本のデザインを忠実に再現できるという特長がある。一方、リフロー型レイアウトはひとつの画面に表示される文字数が可変するレイアウトで、文字サイズや行間隔等を変更しても左右のスクロールが必要ないレイアウトで、画面の小さな端末でも可読性を保てるという特長がある。文字が中心の書籍の場合にはリフロー型レイアウトが、イラスト集や写真集のような書籍の場合には固定型レイアウトが適していると言われている。中野ら(2015)は、弱視児のニーズ調査に基づき(中野ら, 2013)、日本の教科書の場合にはレイアウトに重要な情報があるため固定型レイアウト方式のPDFの重要性を指摘している。しかし、彼らは、PDFだけでは行たどりが困難である等の問題が解決できないため、固定型レイアウトとリフロー型レイアウトを併用する必要があることを指摘している。そこで、「PDF版拡大教科書」は、固定型レイアウトのPFD教科書に加え、リフロー型レイアウトとしてHTMLファイルを作成し、両方の表現形式のメリットを享受できるように両方のフォーマットのファイルを用意した(図1)。さらに、教科書には、表紙や本文の前に掲載されている資料等があるため、枚数とページが必ずしも対応していなかったり、縦書きと横書きではページをめくる方向が異なったりするので、これらの設定を指定できるJSONファイルも含めることができるようになっている。
図1 固定型レイアウトとリフロー型レイアウトの表示例
2.3 セキュリティ
デジタルデータは容易に複製が出来るため目的外利用の危険性がある。また、タブレット端末の盗難や紛失等で、データが不正利用される可能性もある。これらの目的外利用や不正利用を防止するために、「PDF版拡大教科書」では、データを暗号化し、32桁のパスワード(暗号解除パスワード)で保護している。ユーザがデータを利用する際には、暗号解除パスワードを入力する必要があるが、後述するUDBのユーザ認証機能を利用することで、暗号解除パスワードを利用者に教える必要のない仕組みを構築した。そのため、万が一、データを不正にコピーされてしまったり、盗まれたりしてもデータを開くことができないようにしてある。
2.4 提供可能な教科書の種類
提供可能な「PDF版拡大教科書」は、教科書発行者が文部科学省のデータ管理機関に提供している小学校、中学校、高等学校・普通科の教科書のみである。また、「PDF版拡大教科書」は、研究協力校からの申請に基づいて製作されるため、新規に製作する場合には、時間がかかることに留意する必要がある。なお、現在、「PDF版拡大教科書」の製作・配布等は、慶應義塾大学が文部科学省から委託されて実施している。
2.5 対象者
「PDF版拡大教科書」を利用することが出来るのは、教科書バリアフリー法で規定されている「教科用拡大図書」(いわゆる拡大教科書)を必要とする視覚障害のある児童生徒である。拡大教科書と同様、在籍している学校にかかわらず、提供を受けることが出来る。ただし、視覚に障害があることを確認する必要があるため、現時点では、盲学校に在籍しているか、盲学校で通級指導や教育相談を受けている児童生徒に限られる。また、「教科用拡大図書」は、現時点では、「教科書デジタルデータ活用に関する調査研究」を目的として配布されているため、調査研究の趣旨に賛同し、研究に協力が可能な児童生徒のみに限定される。
2.6 利用のための手続き
現時点では、「PDF版拡大教科書」の利用申請・提供等は、各地域の盲学校が窓口となり、文部科学省から研究委託を受けている慶應義塾大学中野泰志研究室に申請する仕組みになっている。地域の学校や弱視特別支援学級に在籍している視覚に障害のある児童生徒が利用を希望する場合には、最寄りの盲学校の教育相談や通級指導等の対象となり、盲学校から申請する必要がある(「PDF版拡大教科書」は、地域の学校、弱視特別支援学級、個人では申請することが出来ない)。なお、利用のための手続きの詳細は以下のURLに示した。(図2)
http://web.econ.keio.ac.jp/staff/nakanoy/research/largeprint/05_digital/2018/index.html
図2 利用手続きの流れ
3.UDBとは?
3.1 定義
UDBは、慶應義塾大学中野泰志研究室が、文部科学省初等中等教育局特別支援教育課「障害のある児童生徒の学習上の支援機器等教材開発事業」の委託を受け、「視覚障害のある児童生徒が授業場面で有効活用できる教科書・教材等閲覧アプリの開発」というテーマで研究・開発したiPadやiPhone等のiOSで動作する閲覧(ブラウザ)アプリである。2015年7月12日に最初のバージョン(Ver.1.0.0)がリリースされた後、平成26年度から平成28年度までの3年間に、延べ22校の研究協力校、138人の弱視生徒、272人の担当教員のニーズ調査・評価に基づいて、改良が加えられた。平成29年度以降は、文部科学省初等中等教育局教科書課の「特別支援学校(視覚障害等)高等部における教科書デジタルデータ活用に関する調査研究」及びJSPS科研費16H02072より補助を受け、バージョンアップが行われており、2019年1月1日時点で、24回目のバージョンアップでVer.2.8.1がリリースされた。
本アプリは、現在、Apple Storeから無料でダウンロードすることが出来る。本アプリは、iOS 9.0 以降に対応するように設計されており、iPhone、iPad、および iPod touchで利用することが可能である。固定型レイアウト(PDF)とリフロー型レイアウト(HTML)を切り替えて利用できるハイブリッド型ブラウザである。
3.2 UDBの機能
本アプリには、他の書籍閲覧アプリと比較すると8つの大きな特徴がある。1つ目は弱視児童生徒の視認性を考慮して設計したこと、2つ目は授業や家庭学習での操作性を考慮して設計したこと、3つ目は固定型レイアウト(PDFモード)とリフロー型レイアウト(HTMLモード)を用途に応じて自由に切り替えて利用できるハイブリッド型ブラウザであること、4つ目は自作のデータの作成・利用が容易であること、5つ目はVoiceOverを利用しているユーザや音声読み上げを必要とするユーザの使い勝手を考慮した音声出力機能を有していること、6つ目の特徴はデータのセキュリティ管理が堅牢であること、7つ目は試験にも利用できるようにテスト・モードを用意していること、そして、8つ目は健康に配慮出来る機能があることである。以下に、主な特徴を示した。
(1)視認性に関する特徴
iBooks等の標準的な書籍閲覧アプリは、弱視児童生徒にとって、書棚・メニュー・ポップアップメニュー(辞書検索や読み上げ等をする際にポップアップして表示されるメニュー)・ページ・しおり等の表示が小さくて見えにくいという視認性に関する課題があった。また、特定のページを探すために時間がかかる、行たどりが難しい、ページをめくる度に拡大率が元に戻ってしまう、意図していないのに次のページが表示されてしまう等の操作性に関する課題もあった。そこで、本アプリではこれらの課題を解決するために、以下の機能を搭載した。
a) 書棚の視認性向上
従来の閲覧アプリの書棚は、弱視児童生徒には見えにくかった。そこで、本アプリでは、教科書や教材などを管理する書棚を見やすく、操作しやすく設計した(図3)。書棚を「カテゴリ」に基づいて分類できることも特徴である(図4)。
図3 従来のアプリとの書棚の見やすさの比較
図4 カテゴリによる書棚の分類
b) メインメニューの視認性向上
従来の閲覧アプリでは、メインメニューの表示は小さく、ピンチでは拡大できなかった。そのため、弱視児童生徒は、iOS標準のズーム機能(ピンチ拡大ではなく3本指で画面をダブルタップして機能させるズーム)を使うか、ルーペや拡大読書器等の視覚補助具を併用しなければならなかった。本アプリでは、弱視児童生徒の視覚特性を考慮し、メニューを大きく(従来のアプリと比較すると高さを約2倍に拡大)、かつ、コントラストを高くして見やすくした(図5、6)。
図5 従来のブラウザとUDブラウザのメニューの比較
図6 メニューの機能
c) ポップアップメニューの視認性向上
辞書を引いたり、音声で読み上げさせたりするためには、調べたい箇所を見ながら、選択するという操作が必要である。従来のアプリでは、調べたり、読ませたりしたい文字列を選択すると、「読み上げ、コピー、辞書、検索」等が選択できるポップアップメニューが表示されるようになっている。しかし、ポップアップメニューに表示される文字は、iPadで表示した場合、10ポイント程度の小さな文字であり、ピンチで拡大することができない。そこで、本アプリでは、ポップアップメニューをピンチで拡大できるようにした。また、フォントを、弱視児童生徒に見やすいとされている(中野・新井, 2012)TBUD丸ゴシックにした(図7、8)。
図7 視認性を向上させたポップアップメニュー(ピンチで拡大可能)
(2)操作性に関する特徴
中野ら(2013)が実施した拡大教科書利用実態調査の結果、紙の拡大教科書の課題として、視認性以外に、可搬性・操作性の観点からの指摘が多かった。つまり、拡大教科書は見やすいだけでは不十分であり、持ち運びが容易で、指定されたページを開く等の操作を行いやすくしなければならないのである。そこで、本アプリでは、弱視児童生徒や担当教員へのニーズ調査等に基づき、操作性を向上させるために以下の機能を搭載した。なお、本アプリには、弱視児童生徒が利用するすべての教科書や教材を1台のタブレット型情報端末に入れることが出来るため、可搬性の問題点についても解決出来ると考えられる。
a) ページジャンプ機能による操作性向上
従来のアプリでは、特定のページを探す際には、サムネイル(5×5mm程度)を見ながら、指を動かし、探したいページを見つけなければならなかった。本アプリでは、携帯電話と同じインタフェースの数字入力を搭載し、特定のページに簡単にジャンプできるようにすることで、特定のページを開く操作を向上させた(図8)。教育場面では教員が児童生徒に「教科書の23ページを開いて!」という指示を行うことが多いため、この機能は必要不可欠だと考えられる。なお、ページジャンプ機能は、後述するPDFモードでも、HTMLモードでも利用できるようにした。
図8 ページジャンプ機能
b) スクロール補助機能による操作性向上
教科書や教材を拡大して読む場合、行をたどったり、改行したりすることが困難であった。そのため、タブレット端末を利用する前提として、行をスムーズにたどることが出来るようにするためのスキャニング操作訓練が必要であった。そこで、本アプリでは、スキャニングを容易にするために、キー操作で動作を制御できるようにした。キー操作では、スキャニングだけでなく、拡大・縮小、ページめくり等、本アプリのほとんどの機能を利用することを可能にした。指先を使ったタッチ操作が苦手な人は、キーボードと連動するスイッチ入力を使って操作することが可能である。なお、キー操作は、外付けキーボードだけでなく、ソフトウェアで画面に操作盤を表示するソフト・キーボード(オンスクリーンキーボード)からも可能にした(図9、10)。
図9 キーボードからの操作
図10 ソフト・キーボードの機能
c) 辞書検索・読み上げ・コピー機能の操作性向上
辞書を検索する際には、調べたい単語を探し、正確に読み取り、記憶し、電子辞書や辞書アプリに正確にタイプしなければならない。これらの操作は、弱視児童生徒にとって容易ではなく、辞書検索を面倒だと考える弱視児は少なくない。そこで、本アプリでは、教科書中の単語や文章を長押して選択するだけで、辞書検索ができるように設計した。また、読み上げやコピーをして他のアプリ等で利用出来るようにした(図 11)。なお、英語の文章の場合、1タップで単語、2タップで文章が選択できるようにした。
図11 文字選択を容易にした例
d) 「しおり」(ブックマーク)機能による操作性向上
教科書や教材には、新出漢字や巻末資料等、よく利用しなければならないページがあるが、弱視児童生徒には行き来することが困難だという意見があった。また、弱視児童生徒が自分で大切だと思ったページに付箋や折り込みをしても、後で探すことが難しいという意見もあった。デジタル教科書には、「しおり」機能があるものが多いが、弱視児童生徒にとっては、マークが見えにくかったり、「しおり」を挟んだページを見つけることが難しかったりするという課題があった。そこで、本アプリでは、「しおり」の視認性を向上させ、弱視児童生徒が操作しやすい表示にした(図12)。
図12 「しおり」を挟んだ状態と「しおり」ページ一覧
e) 「書き込み」「ラインマーク」機能による操作性向上
授業場面の観察の結果、デジタル教科書を利用しても、ポイントをまとめたりする場合には、ノートを使う指導が一般的であることがわかった。一方、児童生徒や教員へのヒアリングの結果、授業や家庭学習において、弱視児童生徒は、ノートだけでなく、教科書に書き込みを行うことが多いという指摘があった。例えば、重要な用語をマーカーでハイライトしたり、漢字にルビを振ったり、段落の区切りに印をつけたり、図形問題を解くために補助線等を描いたり等である。また、教員が授業中に、教科書に書き込みを指示する場面があるため、書き込み機能は必須であるという指摘もあった。このように教科書への書き込みは、教育において重要性が高い。しかし、書籍を閲覧するアプリに搭載されている書き込み機能は、教育における利用を考えると十分とは言えない。例えば、一般的なブラウザであるiBooksに搭載されている書き込み機能は、メモやハイライトのみで、漢字にルビを振ったり、印をつけたり、補助線を描いたりすることは出来ない。そこで、本アプリでは、フリーハンドでの書き込み機能(図13、14)やラインマーク機能(図15)を搭載した。また、書き込みやラインマークを施したページは、自動的に保存できるようにしてあり、「しおり」機能で一覧表示出来るようにした(図16)。
図13 「書き込み」(フリーハンド)機能
図14 フリーハンドでの書き込み例
図15 「ラインマーク」機能
図16 「書き込み」や「ラインマーク」を行ったページの一覧表示
(3)固定型レイアウトとリフロー型レイアウトのハイブリッド表示の特徴
電子書籍の表現方法にはPDFのような「固定型レイアウト(フィックス型レイアウト)」とEPUBのような「リフロー型レイアウト」がある。固定型レイアウトは、紙と同様に版面の1ページを固定したレイアウトであり、紙の本のデザインを忠実に再現できるという特長がある。一方、リフロー型レイアウトはひとつの画面に表示される文字数が可変するレイアウトで、文字サイズや行間隔を可変できるため、画面の小さな端末でも可読性を保てるという特長がある。文字が中心の書籍の場合にはリフロー型レイアウトが、イラスト集や写真集のような書籍の場合には固定型レイアウトが適していると言われている。
教科書の場合には、1冊の教科書の中に、固定型レイアウトが適している内容とリフロー型レイアウトが適している内容が混在している場合が多い。例えば、物語の本文は文字が中心なのでリフロー型レイアウトが適しているが、その物語に対する解説の中で、対立する2つの考え方を対比させる場合には、対応づけが必要になるため、固定型レイアウトにする必要がある。そのため、教科書を効果的に閲覧できるようにするためには、固定型レイアウトとリフロー型レイアウトの両方に対応している必要がある。このように教科書閲覧アプリには、固定型レイアウトとリフロー型レイアウトの両方に対応し、なおかつ、2つのフォーマットを有機的に連動させる必要があると考えられる。そこで、本アプリでは、固定型レイアウトのPFD教科書に加え、リフロー型レイアウトとしてHTMLファイルを作成し、両方の表現形式のメリットを享受できるように設計した(図17)。
図17 固定型レイアウト(PDF)とリフロー型レイアウト(HTML)のハイブリッド表示機能
a) 固定型レイアウト(PDF)モード
教科書は、小説等の一般の書籍とは異なり、図表が多く利用され、紙面が複雑なレイアウトで構成されている(図18)。授業、特に、通常の学校における授業では、教科書のレイアウトを活用し、本文と図表や脚注を行き来したり、設問と本文を行き来したりする展開が一般的に行われている。そこで、本アプリでは、紙の検定教科書と全く同じレイアウトのPDFファイルを表示できるようにした。また、視機能や内容に応じて、拡大率を30倍程度まで連続的に変更(10ポイント程度の文字サイズが300ポイント程度まで拡大可能)出来るようにした。なお、本報告書では、PDFファイルを表示するモードを固定型レイアウト(PDF)モードと呼ぶ。
図18 日本の教科書のレイアウトの特徴
b) リフロー型レイアウト(HTML)モード
PDFモードでピンチアウトして文字を拡大させると、周辺部分の文字が画面からはみ出すため、上下左右にスクロールしなければならない。これに対して、HTMLモードでは、文字サイズを拡大しても行内の文字数に合わせて文章が自動で折り返されるようになっており、上下のスクロールだけで、文章を読み進めることが出来るように設計した(図19)。
図19 HTMLモードでのリフロー表示
本アプリは、弱視児童生徒向けの機能を中心に開発してきたが、盲学校での試用実践の際、音声出力機能を利用してタブレット型情報端末にアクセスしている盲児も利用したいという声が多いことがわかった。そこで、盲児童生徒がHTMLモードで教科書の多くの情報にアクセスできるように以下の機能を搭載した(図20)。
図20 HTMLモードの機能一覧
・目次へのジャンプ機能: HTMLファイルに目次を設定しておけば、目次ページにジャンプ出来るようにした。目次ページに、各単元等へのハイパーリンクを設定しておけば、単元等への移動が容易になる。
・ページジャンプ機能:PDFモードと同様に、指定したページに簡単にジャンプ可能である。ページ指定は、盲児童生徒にも入力しやすいように携帯電話と同じ数字配列にした。
・履歴表示機能:教科書等のページを行き来し易くするために、ヒストリー履歴を戻ったり、進めたりすることが出来るようにした。
・CSSを適応する機能:リフロー画面の視認性を向上させるために、表示フォントと背景色を選択できるようにした。例えば、「UD丸ゴ・白」を選択すると、背景色が白で文字色が黒のUD丸ゴシック体で文章が表示される。また、「UD丸ゴ・黒」を選択すると、背景色が黒で文字色が白(白黒反転表示)のUD丸ゴシック体で文章が表示される(図21)。標準ではフォントに、MS明朝体(マイクロソフト社)、MSゴシック体(マイクロソフト社)以外に、弱視児童生徒の視認性を考慮し、TBUD丸ゴシック(タイプバンク社)、UDデジタル教科書体(タイプバンク社)、UD新ゴシック体(モリサワ)、UD新ゴシックPro体(モリサワ)、UD新ゴシック・コンデンス書体(モリサワ)を搭載した(図22)。なお、CSSを使えば、書体や配色だけでなく、文字間隔や行間隔等の変更可能である。自作したCSSファイル(「ファイル名.css」)を本アプリに転送すれば、メニューに追加されるようにした。
図21 白黒反転表示
図22 標準で用意されている書体の例
・文字サイズ変更機能:文章の文字サイズを変更することを可能にした。文字サイズを変更しても、行内の文字数に合わせて文章が自動で折り返されるようになっており、上下のスクロールだけで、文章を読み進めることが出来る。
・音声読み上げ機能:本アプリでは、音声だけで教科書や教材等の内容にアクセスできるように、文章をまとめて読み上げることができるようにした。また、読み上げの速度や音声の種類も変更できるようにした。なお、誤読を防止するため、ルビが設定されている場合、ルビを読み上げるようにした。
・PDFモードとの有機的連携機能:HTMLモードからPDFモードに切り替えると、HTMLモードで表示していたページに自動的にジャンプすることができるようにした。そのため、教科書・教材の内容や目的に応じて、表示モードを切り替えながら、利用することが可能である。
・ファイル形式:リフロー型レイアウトを実現する方式には、EPUBやDAISY等の様々な方式があるが、本アプリでは、作成が容易なHTMLを採用した。
・その他の機能:ポップアップメニューの視認性を向上させることで、選択範囲の読み上げ、コピー、辞書検索を容易にした。また、ルビの表示やハイパーリンク(目次や脚注をクリックするだけで該当箇所にジャンプする機能)も装備した。なお、リフロー表示モードには、オープンソースのHTMLレンダリングエンジンのWeb Kitを用いているため、HTML、CSS、JavaScript、MathML等が利用可能である。そのため、外部のWebページへのハイパーリンク、動画や音声ファイルの再生、JavaScriptを活用したインタラクティブな教材の作成等が実現可能である。
(4)データ自作・利用に関する特徴
教科書や教材を取り扱うことができるブラウザ・アプリでは、EPUBやDAISY等のファイル形式が利用されることが多い。これらのファイル形式は、電子書籍やアクセシブルな電子教材を作成する上では、標準的なフォーマットである。しかし、これらのファイル形式のデータを簡単に作成できるアプリは多くない。そのため、コンピュータの操作に慣れていない教員や弱視児童生徒が自分でデータを作成することは容易ではない。そこで、本アプリでは、教員や弱視児童生徒が自分でデータを作成することが容易なデータ形式としてPDFを採用した。PDFであれば、ワードやパワーポイント等、教員が教材作成に利用することの多いアプリから簡単に変換することが可能である。また、PDFは、現在、最も普及しているデータ形式であり、入手が容易である点も特徴である。なお、本アプリでは、以下に示す通り、透明なテキストが張り付いたPDFやワードファイルから自動的にリフロー表示用のHTMLファイルを作成する機能を有している。また、自作した教材データ等の転送を容易にするために、PCとタブレット型情報端末をケーブルで接続して転送する方法以外に、サーバ(学校内に設置されたサーバだけでなく、クラウドサーバにも対応)、端末間、アプリ間でデータを転送する機能も有している。
a) PDFからの変換機能
本アプリは、PDFからHTMLデータを自動的に作成することが可能であるため、パワーポイントを始め、様々なアプリで作成したPDFデータを簡単な手順で利用可能である(図23)。
図23 パワーポイントからの変換例
b) ワードファイルからの変換機能
教員に対するヒアリングの結果、教材を作成する際に、マイクロソフト社のワードを利用することが多いことがわかった。そこで、ワードファイルからHTMLを作成する機能を搭載した。ワードファイルを利用すれば、ルビや強調等のレイアウト情報がHTMLに反映されるため、PDFから変換するよりも、オリジナルに近い情報を取得可能である。
c) サーバからのデータ転送機能
本アプリは、ケーブルを介して、iTunesからデータを転送可能である。しかし、教員に対するヒアリングの結果、校内にWebDAVサーバを設置し、データを共有している学校があることがわかった。そこで、WebDAVサーバからデータを転送できる機能を用意した。また、個人でデータ転送をする際には、クラウドサーバであるDropboxやアップルのファイルを利用しているケースが多いことがわかった。そこで、本アプリでは、Dropboxやファイルからデータ転送が出来るようにした。また、アップルのFilesからのダウンロードも可能である。
d) Air Dropによる端末間データ転送機能
学校へのヒアリングの結果、Wi-Fiに接続出来ない学校があることがわかった。そこで、本アプリは、Wi-Fiに接続せずに、データを転送する方法であるAir Dropに対応させた。
e) アプリ間データ転送機能
教員へのヒアリングの結果、教材作成をPCではなく、タブレット端末で行っているケースがあることがわかった。そこで、本アプリでは、タブレット端末で作成したデータファイルをアプリ間データ通信で転送できるようにした。
(5)音声読み上げに関する特徴
本アプリは、ver.2.3以降、ジェスチャーで操作する画面読み上げ機能「Voice Over」に対応させた。その結果、全盲の視覚障害児童生徒がVoice Overを使うことで、PDFモードもHTMLモードもアクセスできるようになった。また、Voice OverユーザがファイルにアクセスしやすいようにHTMLモードの音声対応機能を充実させた。例えば、HTMLモードでのページ表示、ページ読み上げ機能等を用意した。また、ルビがある場合には、ルビを優先的に読み上げられるようにした。さらに、Voice Overユーザの利用を考え、読み上げ速度や声の種類を変更できるようにしたり、「リフローファイルを優先」できるようにしたりした。
(6)セキュリティに関する特徴
教科書や教材には著作権があるため、セキュリティ管理が極めて重要である。利用者に悪意が無かったとしても、データの不正利用を防止する対策が必要不可欠である。そこで、本アプリでは、PDFファイルのパスワードによるアクセス制限、教科書デジタルデータを利用するためのアクティベーション等、データ流出に対するセキュリティ管理を可能にした。なお、本アプリでは、セキュリティ制限を厳しくしつつも、ユーザの利便性は低下させない工夫を施した。
a) 教科書デジタルデータのセキュリティ管理
慶應義塾大学・中野泰志研究室が作成・配布している拡大用教科書デジタルデータは、暗号化されており、32桁のパスワードでアクセスが制限されている。しかし、利用に必要なパスワードがデータと一緒に流出する可能性がある。そこで、本アプリでは、パスワード以外にアクティベーションコードで2重のアクセス制限をかける方式を用いることにした。
b) 自作データのセキュリティ管理
本アプリでは、教員等が自作したデータにも、パスワードで制限をかけられるようにした。現在、対応しているファイル形式は、パスワード付きのPDFファイルとパスワード付きのZIPファイルである。パスワード付きのZIPファイルを用いれば、HTMLやリンクした動画等のファイルの流出も防ぐことが可能である。本アプリでは、1度、パスワードを入力すれば、後はパスワードを意識する必要がない設計になっているため、ユーザの利便性を低下させることはない。なお、パスワードを解除したPDF、HTML、JSONファイルは、ユーザがアクセスできない領域に自動的に転送されるため、データを不正に抜き出すことは出来ない。なお、パスワードは、QRコードでも解除出来る。
(7)試験への対応に関する特徴
研究協力校の生徒から、教科書や教材で利用している本アプリを、試験等の際にも利用したいというニーズが寄せられた。しかし、試験等に本アプリを利用する場合、辞書、読み上げ、コピー等の機能を制限する必要がある。そこで、ver.2.4以降からは、辞書、読み上げ、コピーを制限できる試験モードを用意した。試験モードでは、「読み上げ」、「コピー」、「辞書」の機能を個別にON/OFF出来る(図24)。なお、アクセシビリティのアクセスガイドの機能を利用すれば、UDブラウザ以外のアプリを制限できる。
図24 試験モードの設定画面
(8) 健康への配慮に関する特徴
デジタル機器は夜間の使用によって睡眠に影響することが指摘されている。そこで、UDBでは、夜間や早朝に利用するとアラートが表示されるようにした。また、長時間の連続使用も健康に影響することが指摘されている。そこで、UDBでは、連続使用時間の設定によって、アラートが表示されるようにした(図25)。
図25 健康設定の画面
以上が本アプリの特徴であるが、詳細は以下のURLからダウンロードできるマニュアルに示した。
http://web.econ.keio.ac.jp/staff/nakanoy/app/UDB/
4.おわりに
視覚障害のある児童生徒にとって、簡単に持ち運びができ、人前で利用しても恥ずかしくなく、文字サイズや白黒反転等を瞬時に変更して見やすくすることができるアクセシブルなデジタル教科書は、切望されてきた。これらのニーズに応じるために、文部科学省が委託した一連の研究により、その技術的・実用的な基盤整備が進んできた。また、平成32(2020)年度から「デジタル教科書」が本格導入されることに先立ち、視覚障害のある小中高校生に対しては、平成31(2019)年度から、タブレット端末などを活用したデジタル教科書が教育課程の全てで使用できることが発表され、制度的な基盤も整備されつつある。中野ら(2015)や中野ら(2016)の実践研究報告では、「PDF版拡大教科書」は紙媒体の拡大教科書と同等かそれ以上の効果があることがわかっている。そのため、より多くの教育実践に取り入れられることを期待したい。なお、「PDF版拡大教科書」は紙媒体の教科書(拡大教科書を含む)と併用することが原則になっているため、すべてをデジタルに置き換えなければならないわけではない。
謝辞
本研究は、文部科学省委託事業「特別支援学校(視覚障害等)高等部における教科書デジタルデータ活用に関する調査研究」、文部科学省委託事業(学習上の支援機器等教材研究開発支援事業)「視覚障害のある児童生徒が授業場面で有効活用できる教科書・教材等閲覧アプリの開発--盲、弱視、晴眼の児童生徒が共に学べるUDアプリを目指して--」、文部科学省科学研究費基盤研究(B)「視覚障害者の高等教育における合理的配慮のための教科書デジタルデータ活用システム」(課題番号:25285261)、文部科学省科学研究費基盤研究(A)「通常の学級で学ぶ視覚障害児のための合理的配慮に関する支援システムの構築」(課題番号:16H02072)から研究費の補助を受けて実施した。教科書デジタルデータの使用にあたっては、教科書協会とデータ管理機関のご協力を得た。
1) 宇野和博 (2007). 拡大教科書がわかる本--すべての見えにくい子どもたちのために. 読書工房.
2) 国立特別支援教育総合研究所(2005). 拡大教科書作成マニュアル. ジアース教育新社.
3) 中野泰志・新井哲也・吉野中・花井利徳・大島研介(2013). ロービジョンのある小中学生の拡大教科書利用実態. 日本ロービジョン学会誌 13:82-90.
4) Nakano,Y., Tanaka,Y., Ujima,K., Nagai,N., Han,S., & Aiba,D. (2014). Supply and usage situation of large print textbooks in Japan: A nationwide fact-finding survey to elementary and junior high schools. Vision2014 the 11th International Conference on Low Vision, P95.
5) 中野 泰志・相羽 大輔・富田 彩 (2015).タブレット端末で利用できるデジタル教科書は拡大教科書の代わりになり得るか?--紙媒体とデジタル教科書の利用状況とパフォーマンスの比較研究-- 日本ロービジョン学会誌,15,70-78.
6) 中野 泰志・氏間 和仁・田中 良広・韓星民・永井 伸幸 (2016).ロービジョンの生徒のための教科書閲覧アプリの開発(1)--iBooksより視認性や操作性を向上させた新しいiPadアプリの試作とユーザ評価-- 日本ロービジョン学会誌,16,65-75.
7) 中村 昌嗣(2014). プロフェッショナルのための電子書籍制作入門.技術評論社.